明治から昭和にかけて尾崎紅葉と並んで「紅露時代」と呼ばれる一時代を築いた『幸田 露伴』(大政奉還がなされた慶応3年に生まれ、明治22年に作家としてデビュー、昭和12年には第1回の文化勲章を受章され、昭和22年(80才)に亡くなられた)。稀代の小説家が「努力論」という本で提唱している3つの幸福(惜福、分福、植福)の内、『惜福』についてお伝えします。
「惜福とはどういうのかというと、福を使い尽くし取り尽くしてしまわぬをいうのである。たとえば、掌中に百金を有するとして、これを浪費に使い尽くして半文銭もなきに至るがごときは、惜福の工夫のないものである。」
「幸福に遇う人を観ると、多くは惜福の工夫のある人であって、然らざる人を観ると十の八・九まで少しも惜福の工夫のない人である。」(前回ブログの「観る」をちゃんと使っています。)と言っています。
惜福とは、自分だけで福を使い尽くしてしまわない事、又、自分の身内だけ、自分の会社だけが儲ける・自分だけが利益を得る道を選択しない事を指します。
違う表現では、「陰を生じさせる」・「少し不足する」・「ちょっと損する」・「譲る」・「幸いをあとに残す」等々、わざと不足の部分を作り出す工夫が必要だと・・・・。
何故この工夫が必要なのでしょうか?
易経では「窮まれば変ず、変ずれば通ず、通ずれは久し」と言っています。
満ちたものは必ず欠けて、欠けたものは必ず満ちていきます。
満月が必ず新月に変わっていく自然の環境はもとより、人間社会の出来事も栄枯盛衰をくりかえしています。
この様に満ち足りた状態、全ての福を使い果たした状態になってしまうと反転してしまうという原理・原則が根底にあるからです。
窮まらせない為にも、わざと不足の部分を作り出す工夫、陰の徳を活かす、「陰徳」が必要なのです。
相続が争族にならないためにも、相続に係わる人間として肝に命じておきたい教えではないでしょうか?
(参考:竹村亞希子著「超訳・易経」角川SSC新書)
大植隆
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